母の日にカーネーションを贈るのはなぜ?由来をわかりやすく解説!

イベント

ゴールデンウィークが終わるとやってくる、5月のイベントといえば母の日ですね!日頃の感謝を込めて母の日に、カーネーションを贈るという方も多いのではないでしょうか?!

でも、なぜ母の日にカーネーションを贈るようになったのか?その由来を知っていますか?私も最近まで知らなかったのですが、子供に聞かれて慌てて調べました(^^;)

その由来は、母の日に贈るのはNGとされている白いカーネーションとも深い関係があるので、ぜひ知っておきましょう!!

▽カーネーションのそれぞれの色の花言葉について詳しく書いた記事はこちら▽

母の日に贈るカーネーションの色!よくない意味を持つのは何色?
5月の第2日曜日は母の日ですね♪ 母の日は毎年カーネーションを贈っているという方も多いと思います。 カーネーションの花言葉は「無垢で深い愛」です。 ただし、カーネーションは色によってそれぞれ意味が違います。 中には、...

母の日の由来をわかりやすく解説します!

母の日の由来

今から100年程前に、アメリカウエストバージニア州に、アンナ・ジャーヴィスという女性がいました。彼女が敬愛する母親アン・ジャービスは敬虔なクリスチャンで社会活動家でした。

娘のアンナさんは、母アンさんの死後、生前教育活動をしていた教会で亡き母を偲び、母アンさんが好きだった「白いカーネーション」を祭壇に飾り、参列した人々にも配りました。

亡き母親には白いカーネーション、生きている母親には赤いカーネーションと区別されていましたが、その区別で傷つく子たちがいるため区別をなくしてすべての母親に赤いカーネーションを贈るようになりました。

このことが母の日に、赤いカーネーションを贈る由来となっています。

母アンさんの活動と母の日が5月の第2日曜日となった理由

母アンさんは、当時の衛生環境の悪さから病気や幼児期の死亡数が多いことを嘆き医療や衛生環境を改善するため「Mother’s Day Work Club」というボランティア団体を結成しました。

そんな中アメリカ南北戦争がはじまり、南北の分離が激しくなりましたが、母アンさんは中立の立場で、敵味方に関わらず病気やケガに苦しむ兵士達を助けていました。

母アンさんは終戦後も平和活動や地域の子供たちへの教育支援などに尽力し、1905年5月9日に亡くなりました。母アンさんはまさに「母の鑑」ともいえる偉大な母でした。

母アンさんの死後、アンナさんは母の活動を後世に残せるよう「母親のための祝日」を設けるよう運動を始めました。

そして、1915年に5月の第2日曜日を「母親のための祝日」とする法律が施行され、母アンさんが結成したボランティア団体の名から母の日(Mother’s Day)が生まれたのです。アンナさんにとってはとても意味のある日なんですね。

日本に母の日が伝わったのはいつ頃?

日本に「母の日」が伝わったのは、アメリカで母の日が制定されてすぐのことでした、当時日本にあったキリスト教の学校や教会で「母親を想う大切さと、母の日という記念日がアメリカでできたこと」を伝え、人々に感動を与えました。

当時の大企業が母の日のイベントを開催したりしたことから、国民の間で大きな話題となり、全国的に母の日の文化が広がっていました。

母の日が定着する前に第二次世界大戦が始まり、人々から忘れられていきましたが終戦後の1949年頃アメリカと同じ、5月の第2日曜日が母の日となりました。

さいごに

いかがでしたでしょうか?
母の日は、アンナさんが尊敬する母アンさんを想い、祝日になるように願った『母親のための祝日』だったんですね!

母の日の由来を知って、今年はお母さんに日頃の感謝の言葉を伝えてみてはいかがでしょうか(^^*)

 

タイトルとURLをコピーしました